2021年02月09日
青のり。
今日は夕方から調子が悪く。
帰宅してからさっきまで横になってました。
調子が悪くても、お腹は空くので。
先日買ってきた袋めんの焼きそばを食べました。
先月のたこ焼きパーティーで余った青のりを大量に・・・
鰹節もかければ良かったかな。
焼きそば食べてるのか青のり食べてるのかよく分からない状態になりながら、ひとまず完食。
ちょっとかけすぎました。
ごちそうさまでした。
それでは、また寝ます。
帰宅してからさっきまで横になってました。
調子が悪くても、お腹は空くので。
先日買ってきた袋めんの焼きそばを食べました。
先月のたこ焼きパーティーで余った青のりを大量に・・・
鰹節もかければ良かったかな。
焼きそば食べてるのか青のり食べてるのかよく分からない状態になりながら、ひとまず完食。
ちょっとかけすぎました。
ごちそうさまでした。
それでは、また寝ます。
2021年02月07日
PC。
パソコンは正直。
なにか不具合あると「不具合有るから作業できない」と。
決して、無理して何かやろうとはしない。
ちょっと羨ましい(笑)。
これくらい駄々こねることが出来れば楽だろうなぁ。
でも、「子供かっ」と怒られるのは確実かも(苦笑)。
なにか不具合あると「不具合有るから作業できない」と。
決して、無理して何かやろうとはしない。
ちょっと羨ましい(笑)。
これくらい駄々こねることが出来れば楽だろうなぁ。
でも、「子供かっ」と怒られるのは確実かも(苦笑)。
2021年02月07日
感謝。
人に「ありがとう」と感謝されるのが苦手。
手が震えてくる。
多分に、思い出したくもない過去のトラウマ的なもので、何か裏でもあるんじゃないかなと。
そんな事、無いんだろうけどね。
みんな優しい人たちなのに。
多分、あの頃が本当に「ひどい人」に当たってしまったんだと。
そう思うように、努力してきたし、今はそんな風に思い出す事なんか微塵も無いけれど。
なのに。
面白いよね、手も体も震えるの。怖さというか、寒気するの。
仕事中に出ると、ちょっと支障あって困るなぁ、レベル。
手を止めて、少しやり過ごして、徐々に再開。
うまく付き合っていくしかないんだろうけど、中々しんどいなぁ。
手が震えてくる。
多分に、思い出したくもない過去のトラウマ的なもので、何か裏でもあるんじゃないかなと。
そんな事、無いんだろうけどね。
みんな優しい人たちなのに。
多分、あの頃が本当に「ひどい人」に当たってしまったんだと。
そう思うように、努力してきたし、今はそんな風に思い出す事なんか微塵も無いけれど。
なのに。
面白いよね、手も体も震えるの。怖さというか、寒気するの。
仕事中に出ると、ちょっと支障あって困るなぁ、レベル。
手を止めて、少しやり過ごして、徐々に再開。
うまく付き合っていくしかないんだろうけど、中々しんどいなぁ。
2020年10月08日
久方振り。
ご無沙汰してます。
しばらく留守にしていたもので、更新止まってました。
大きな病気になることもなく元気にやっています。
なので、またぽつぽつと再開できればと考えています。
しばらく留守にしていたもので、更新止まってました。
大きな病気になることもなく元気にやっています。
なので、またぽつぽつと再開できればと考えています。
2020年05月24日
記憶。
昔の話。
学生時代の国語のテストでとある小説が出題された。
その時出た問題なんか疾うの昔に忘れてしまったけれど。タイトル名と作者名はしっかりと覚えている。
「同じということ、違うということ」 作者は落合恵子。
落合恵子の本は本屋さんで何冊か見かけたことがある、しかし廃盤本も多いのか新刊で出回っているものは余りに少ない気がする。
田舎の小さな本屋を探したり、駅前の古本屋を探したりしてみたけど、見つけることはできなかった。
あれからかなりの時間が経ちまして。
ふと思い出したのでネットで検索してみたら。
まさかの該当する記事が2件見つかった。
1つは出典元?である出版社の記事。
平成5年の教科書に載ったらしい。
これしか出典元が出てこないということは、まさか書下ろし?
調べてみると、教科書への書下ろし作品というのは実際にあるらしい。
もう1つは、ブログの記事に全文掲載されていた。
『第六課 同じということ違うということ』
読み進めると、日本語講座? か何かのコンテンツ?
別の記事には注釈もあったりした。
『第六課 の注釈』
改めて読み直してみた。
ずっと小説だと思っていたけど、これはエッセイなのかな?
中間的な感じの、忘れてた遠い昔の恋愛物の話でした。
学生時代の国語のテストでとある小説が出題された。
その時出た問題なんか疾うの昔に忘れてしまったけれど。タイトル名と作者名はしっかりと覚えている。
「同じということ、違うということ」 作者は落合恵子。
落合恵子の本は本屋さんで何冊か見かけたことがある、しかし廃盤本も多いのか新刊で出回っているものは余りに少ない気がする。
田舎の小さな本屋を探したり、駅前の古本屋を探したりしてみたけど、見つけることはできなかった。
あれからかなりの時間が経ちまして。
ふと思い出したのでネットで検索してみたら。
まさかの該当する記事が2件見つかった。
1つは出典元?である出版社の記事。
平成5年の教科書に載ったらしい。
これしか出典元が出てこないということは、まさか書下ろし?
調べてみると、教科書への書下ろし作品というのは実際にあるらしい。
もう1つは、ブログの記事に全文掲載されていた。
『第六課 同じということ違うということ』
読み進めると、日本語講座? か何かのコンテンツ?
別の記事には注釈もあったりした。
『第六課 の注釈』
改めて読み直してみた。
ずっと小説だと思っていたけど、これはエッセイなのかな?
中間的な感じの、忘れてた遠い昔の恋愛物の話でした。
2020年05月09日
誤解。
みんな勘違いしている。
「物持ちが良いね」とよく言われるんだけど、自分はそんな丁寧に使ってなんかいない。
「壊れないからそのまま使っている」という表現が正しいのかもしれない。
新しいものには興味があります。
でも先立つものが無いのでそうそう買えるものでもないのです。
「半ば必要に迫られて買ったもの」を、ずっと使っているだけなんです。
おそらく壊れたらさっさと買い替えるのかもしれない。
でも何故かなかなか壊れない。
なので、PCマウスも20年近く使っているんです。
まぁ有線でちょっと困ることが有ったりしたので無線マウスは買ったけど、何か必要な時に使っている感じ。
自分は案外飽きっぽい性格だと思っているんだけど、周りから見たら案外そんな事は無いのかもしれないな。
「物持ちが良いね」とよく言われるんだけど、自分はそんな丁寧に使ってなんかいない。
「壊れないからそのまま使っている」という表現が正しいのかもしれない。
新しいものには興味があります。
でも先立つものが無いのでそうそう買えるものでもないのです。
「半ば必要に迫られて買ったもの」を、ずっと使っているだけなんです。
おそらく壊れたらさっさと買い替えるのかもしれない。
でも何故かなかなか壊れない。
なので、PCマウスも20年近く使っているんです。
まぁ有線でちょっと困ることが有ったりしたので無線マウスは買ったけど、何か必要な時に使っている感じ。
自分は案外飽きっぽい性格だと思っているんだけど、周りから見たら案外そんな事は無いのかもしれないな。
2020年05月05日
抗弁。
死人に口なし。
世間では意味間違えて解釈して使っている人が多いみたいだけど。
此処でも少し取り違えて使わせてもらう。
何故死んでしまったの? と、今更聞いた所で、本人が教えてくれることはないんです。
多少ならず霊感でもあれば聞こえてくるのかもしれないんだけど、私にはその才は無いようです。
まさに「死人に口なし」です。
原因は…多少ならずとも知っています。
どのようにして…それもまた何となくで分かっていたりします。
前兆とか、いろんな情報は耳に入ってきていたんです。
でも察しの悪い私は、その当時何にもできなくって、今頃になって思い出してしまったりしています。
私は何か出来なかったのか。
多分私が何か一言、二言、ましてや三言行ったとしても、何も結果は変わらなかったはず。
結局は当の本人が決めた事で。外野がワーワー言ったとしても、相手の耳には入らなかったでしょう。
仮にもし理由が分かったとして、周りの人は「そんなことで…」とか言うんでしょう。
でもよく考えて。
その理由ってのは「当の本人が、生きていくのには余りに辛すぎる理由」だったのではないかと。
本人が決めた判断なんです。
誰もそのことを責めるようなことはできません。
言い方きついけど、本人はそれで「楽になった」んでしょう。
来世が有るとか無いとか言うけれど、せめて来世では、この現世で苦しかった事とは無縁で、平和で穏やかな日々が過ごせている事を、心から願いたい。
20年近く前に亡くなった後輩の事をふと思い出したので、愚痴も含みつつ書かせてもらいました。
世間では意味間違えて解釈して使っている人が多いみたいだけど。
此処でも少し取り違えて使わせてもらう。
何故死んでしまったの? と、今更聞いた所で、本人が教えてくれることはないんです。
多少ならず霊感でもあれば聞こえてくるのかもしれないんだけど、私にはその才は無いようです。
まさに「死人に口なし」です。
原因は…多少ならずとも知っています。
どのようにして…それもまた何となくで分かっていたりします。
前兆とか、いろんな情報は耳に入ってきていたんです。
でも察しの悪い私は、その当時何にもできなくって、今頃になって思い出してしまったりしています。
私は何か出来なかったのか。
多分私が何か一言、二言、ましてや三言行ったとしても、何も結果は変わらなかったはず。
結局は当の本人が決めた事で。外野がワーワー言ったとしても、相手の耳には入らなかったでしょう。
仮にもし理由が分かったとして、周りの人は「そんなことで…」とか言うんでしょう。
でもよく考えて。
その理由ってのは「当の本人が、生きていくのには余りに辛すぎる理由」だったのではないかと。
本人が決めた判断なんです。
誰もそのことを責めるようなことはできません。
言い方きついけど、本人はそれで「楽になった」んでしょう。
来世が有るとか無いとか言うけれど、せめて来世では、この現世で苦しかった事とは無縁で、平和で穏やかな日々が過ごせている事を、心から願いたい。
20年近く前に亡くなった後輩の事をふと思い出したので、愚痴も含みつつ書かせてもらいました。